Harris Tweed (ハリスツイード)


ビンテージハリスツイードとは

 19世紀中ごろイギリスでは産業革命が華々しく栄華を極めていたころスコットランドのはずれの小さな島国ではまだその恩恵には恵まれず、昔ながらの生活が混沌と営まれていた。19世紀の中頃までLewis島とHarris島では地元の人々の普段着にウールの着物を主に作っていた。

 1846年、この島の領主ダンモア伯爵の未亡人、ダンモア婦人がマレー・タータン柄をツイードでハリス島の織り手にコピーさせた。ダンモア婦人は時間をかけてこれらのツイードをハリス島の産業とすべく友人に広めていきその後生産工程は改善されハリスツイード産業がはじまった。ダンモア婦人の営業努力でイギリス本土の大都市でハリスツイードが売買されるようになりようやくイギリス中に認知されるに至った。主にハリスツイードは家内製手工業で1903年まで原始的な手作業で木製の織り機を使っていた。その後は機械は発達していくが基本的な製作過程はそのままである。

 1906年Stornowayの会議で決められた紡績機械を使って作られたツイードを本物のハリスツイードとし、検査にパスした商品は本物の証明としてマークをつけることで合意した。この検査機構(ハリスツイード協会)によって生産工場は制限され認定された工場のみでしかハリスツイードは生産されなかった。認定の定義は手で紡いで手で織り上げHebrides諸島外の小作農家が染色したものとした。協会設立の目的は商品の信頼性を高めるとともに他の競合工場からの競争から守ることにあった。

 その後発展を続け1960年代にハリスツイードはピークを迎えたが70年代以降生産は落ち込み80年代、90年代は苦悩の時代が続いた。残念ながら現在は軽くて肌触りの良い生地がはやっている為、昔のようなしっかりとした生地のものは作られなくなってしまった。




ハリスツイードの歴史  

 本来、ハリスツイードはスコットランド北部のハリス島の人が着ていた上着の生地で、寒く風の強い土地柄雨や風を通さない暖かくて丈夫な生地であった。羊の毛をつむぎ、機織で織る。もちろん厳しい自然条件から身を守るものなので強く打ち込まれた分厚い生地は硬く重いものだった。 しかし、この生地はアウトドアに適した素材でカントリージャケットとしてイギリス全土で人気を博すに到った。厚く重い生地は肩の凝るイメージがあるがイギリスのジャケットのウェストのシェイプは腰に重さを分散させて肩に負担をかけないつくりで思った程重くなく見た目もスマートで上品に見える。しかし、現在のハリスツイードは残念ながらこの本来の機能を持ち合わせていない。薄く軽い生地はニットのようになってしまいハリスツイード本来の機能は失われてしまった。

 1970年代以前のハリスツイードは生地も厚くしっかりとしており何十年経っても全く古さを感じさせないそのクオリティはビンテージとして恥じないものである。弊店にある本物のハリスツイードはビンテージとして第2の人生を待っています。


ハリスツイード協会認定マークの変遷

1940年代

1940年代のハリスツイードジャケット。

レーベルはブラックレーベル。

この時代は柄物は少なく単色のものが主流だった。

ラペルの形が特徴的。

希少な一品。

  

(SIZE38 袖62センチ )
1950年代


1950年代のハリスツイードはブラックレーベルが主流になっている。通常は下記のマークの形態で黒なのだがこれは珍しいマークになっている。

ジャケットは完璧なコンディションで皮釦はすべてオリジナル。写真より色はグリーンぽいカラーをしている。

・ビスポークテーラーメイド

・かなり貴重な一品。

(SIZE38 袖60cm)
1960年代

1960年代はハリスツイード全盛期のもので多くのものが作られた。

この時代のものはレッドレーベルでいくつか種類があった。Dunn製のジャケットでコンディションはかなり良い。60年代後期のもの。

・身長165センチから170センチぐらいで胸囲90センチ前後の方向き

(SIZE38 袖57センチ)
1970年代

1970年代は2つ釦が主流。

ラベルはブルーになっている。

これはコベントガーデンのモス・ブロスのジャケット。

ハケットと同じくらいの高級ブランド。

(SIZE42 袖64センチ)

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